こんな事をしてきました!・・・・  
2024-10-17 改定

   I N D E X
Ⅰ.1947年~1965年:『高校卒業まで』
   ヤンマとクマゼミを追いかけて
   電気との出会い
   天文部、木漏れ日も日食
   アマチュア無線
   第2級アマチュア無線技士に合格
   全半導体の送受信機
   大電力送信管への興味
Ⅱ.1965年~1978年:『東芝入社、送信管開発
   クライストロン開発に担当業務が変更
   東芝学園工業専門部電子工学科で受講
 
  カトリヤンマ      クマゼミ
     シミュレーションによるクライストロンの開発を開始
   南アルプス 北岳縦走
   高効率クライストロン開発』
Ⅲ.1978年~1987年:『海外展開、世界最大の核融合用超大電力クライストロン開発
   核融合用超大電力クライストロン「E3778」が「IR100」を受賞
   核融合用大電力クライストロン開発で電気学会「電気学術振興賞 進歩賞」を受賞』
Ⅳ.1987年~2003年:『那須電子管工場に移転
   大田原市へ引っ越し
   世界最大の出力電力の加速器用パルスクライストロン開発
   新しい我が家へ引っ越し
   日本初のホロービームクライストロンの開発
   動作解析(シミュレーション)プログラムをパソコンに移植』
   ILC(国際直線加速器)用パルスクライストロンE3768シリーズの開発と納入
Ⅴ.2003年~2009年:『東芝電子管デバイス(株)に出向
   大電力マルチビームクライストロンを世界で最初に開発着手、開発期間3年半で納入
   東芝電子管デバイス(株)に転籍
   定年退職・嘱託として引き続き勤務』
   横置き型大電力マルチビームクライストロンも世界で最初に開発、納入
Ⅵ.2009年~2012年:『嘱託期間満了で退職
   那須シニアネットに入会、那須野が原ハーモニーホール合唱団に参加
   シルバー大学校に入学
   復職
   『EURO-XFEL』用大電力マルチビームクライストロンの受注』
   退職
Ⅶ.2012年4月~  :『退職後「第2の人生」』
   

他社に先駆けて開発した
マルチビームクライストロン



ホームページ勉強会主催

Ⅰ:1947年~1965年

  『高校卒業まで』

1

中学生卒業まで
 母の実家である岡山県吉備郡下倉村(現:高梁市)にて1947年1月に生まれ、父母は倉敷市に購入した駅から徒歩5分の家へ転居したが、私はお婆ちゃん子であったために引越しを拒み祖父母の家で幼稚園入学前まで過ごし、幼稚園入園時に泣き泣き祖母と別かれ倉敷市に転居した。

 トンボについては、気が付いたら幼少期から『ヤンマ』だけを追いかけており、ヤンマ以外は取りたいと思ったことはありませんでした。小学生の頃の夏は、毎日蚊に対して完全武装で弟と市内の鶴形山に出かけ、クマゼミ(倉敷の子どもたちは『おーしゃっしゃ』と呼ぶ)をひたすら狙い、獲物を虫かごに入れて、大汗をかきながら自宅へ帰っていました。この当時の私たち兄弟はクマゼミや羽の透明なセミ以外はセミではなく、アブラゼミや、ニーニーゼミは私たちにとっては対象外でした。
 
 小学3年生(1955年)で鉱石ラジオ・キットを購入してもらい、理論は判らないが実態配線図通りに自分で半田付けで組み立てた。ちゃんとラジオ放送が受かった!。これをきっかけに電気に興味を持った。


建替後の生家(母の実家)

倉敷駅から徒歩5分の今は無き実家
家の前面にJA4BTUのプレート
   小学5年生(1957年)に当時としては画期的な、真空管式ポータブルラジオを作成したが、これは電池の寿命が短く、実用的ではなかった。この年に、ソニーからは最新式の、トランジスターラジオ、通称『ポケッタブル・ラジオ』も発売された。
   中学生では天文部に所属、『過去から未来に永遠に続く星空』を、夏も毎日蚊に刺されながら眺めていた。 
 近所に大きなアンテナを掲げたアマチュア無線局があり、アンテナや無線機を見学させて頂き、後に自宅から世界中のアマチュア無線の仲間と交信できる事を知り、今度は電波や無線にも興味を持った。
 中学卒業時に、視力に異常を感じ眼科医へ行ったら、近視(近眼)とのことで15歳で近視の眼鏡を装着し、これが60年続くことになった。
 
 高校受験時には、一般の県立高校より先に入学試験があり無線通信士等を育成する国立詫間電波工業高等専門学校を受験、無事に合格したが、卒業後の就職先に関して(漁船、李承晩ラインなど)の不安から両親に猛反対され、大学進学を考慮して市内の県立の普通科高校への進学を勧められた。

 一方で、早く電機メーカーに就職して、何かの開発業務に早く携わりたいという思いで市内の県立倉敷工業高校を受験して進学。国立詫間電波工業高専に進学しなかった件に関して、今では今は亡き両親に感謝している。

 中学のみ自転車通学。その他は歩いて通学。
   
2 高校生の頃
 高校では電気工学・電子工学を学び、部活動では電気部というクラブに参加した。電気部では中国地方では3番目という早期に設置されたアマチュア無線社団(クラブ)局がコールサイン『JA4YAC』で開設されていた。

 高校1年の夏休みに初めて建築関係の工事現場でアルバイトをし、貰ったお金とお小遣いでアマチュア無線用の受信機を自作すると共に、アマチュア無線局開局を目指し、当時の電話級アマチュア無線技士という資格の国家試験を1962年10月に広島市まで出向いて受験。無事合格し、電話級アマチュア無線技士の免許を取得。
自作 中波・短波受信機
  送信機も自作し『JA4BTU』というコールサインを取得し、15歳でアマチュア無線局を開局世界各地のアマチュア無線局と交信しお互いに交信記録(QSL)カードを発行し受領した。

 高校2年生の1963年7月に皆既日食に近い日食を体験。元天文部であり、木漏れ日が全て三日月模様で有ったことを強烈に記憶している。
【歳日は過ぎ、2012年5月21日に、木漏れ日の三日月模様を
約50年ぶりに見た。写真はこの日の食時の木漏れ日!
三日月模様の木漏れ日は今回もきれいだった。
            ・・・・・・次は2035年9月との話。】
  ⇐2012年5月21日に撮影

国家試験に使用した電鍵 HK-3-S

 その前後の、高校2年生の春(4月、16歳)に電信級アマチュア無線技士、秋(10月、16歳)でも第2級アマチュア無線技士の国家試験を受験し、共に合格し免許証を取得。

   日本アマチュア無線連盟(JARL)に入会・会員登録をすると、世界各国への交信記録(QSL)カードを一括してJARLに送付すれば、カードを各国に分別・配達して頂けると同時に、世界各国のアマチュア無線連盟から日本向けに送付された交信記録(QSL)カードを個人あてにまとめて送付して貰えます。

 第2級アマチュア無線技士以上の免許者に対しては、短波無線のプラチナバンド(電離層の反射特性で地球の裏側までも電波が届き易い)14MHz帯の使用が許可されており、南米やアフリカのアマチュア無線との交信にも成功し、交信記録(QSL)カードもいっぱい集めた。 
第2級アマチュア無線技士の免許証



2016年まで実家に掛けていた
日本アマチュア無線連盟の会員証


全半導体化送信機に使用した
大電力トランジスタ:2SC42
   高校3年生では、電気部部長に就任し、後輩のアマチュア無線技士受験に対して問題集の作成や指導を行った。

 高校3年生の夏(1964年7月)に、SONYのトランジスター2SC42を使ってアマチュア無線用の短波送信機を全て半導体で作った。

 この頃の短波帯の許容空中戦電力は電話級および電信級アマチュア無線技士では10W、第2級アマチュア無線技士では100W、第1級アマチュア無線技士では制限が無くなることから、大電力の送信管に興味を持ち、東芝を受験することになった。


Ⅱ:1965年~1978年

  『東芝入社、送信管開発、シミュレーション、高効率クライストロン開発』

3 東芝に入社、初めて関東で生活
 
  1965年~1971年までの担当

半年の堀川町工場での実習の後、当初からの希望通り、電子管技術部送信管技術課に配属される。

送信用ビーム4極管の開発を担当


JA1WDAで使用したYAESU製の
送受信機『 FT-101B 』
 アマチュア無線局のコールサインとして、横浜市磯子区汐見台の会社寮在住時に『JA1WDA』を取得したが開局できず、1年半後に勤務先に近い、川崎市幸区鹿島田の会社寮に転居した後に開局した。

 送受信機はYAESUのFT-101Bを使用し、送信機の最終段の送信管は勿論 東芝の私の仲間が作ったビーム送信管2B46(6146B)である。

     1966年に社内の「マツダ混声合唱団」に入団、毎週水曜日に国際現代音楽協会でも入賞し、作曲家としても「日本よりも世界での評価が高い」、当時は玉川大学に在籍の小橋稔先生に指導にきて頂き練習。その他の曜日は先輩が指導して下さったが、数年後には、私も指導者の一員として練習し、1年に1回発表会を開催していた。
 
  VHFテレビ送信用ビーム4極管の開発       
    

6F50R  6F50RA    8F67R   
 最初に担当したのはVHFテレビ送信用500Wの硝子絶縁の6F50Rをセラミック絶縁にする6F50RAの開発で、互換性を維持するというのが絶対条件で、開発は独自のアイデアで無事完了した。

 次に担当したのは、東京タワーから50kWという大電力での映像信号の送信を、4本で対応する8F67Rの開発補助と、その前段の7F41Rの開発補助だった。

 こちらも、特に問題なく業務を担当。
 1年半弱、ビーム電子管開発を担当。

4 担当業務が変更

1967年の1月に『送信用ビーム4極管開発』から
大電力クライストロン開発』に変更

E3753
この大電力クライストロンの開発や解析が、私の Life Work になった。

 UHF・TV放送用の1AV40(17kW)、1AV56(17kW)、1AV48(30kW)、M4620(50kW)の開発補助

 E3753(80kW)の開発で初めて主担当を任された。

 途中、社内研修制度で、職場を年単位で離れ、東芝学園工業専門部・電子工学科にて電子工学を学び、卒業前の実習では私の興味から『マイクロ波半導体技術部』でシミュレーション解析や実技実習をさせてもらった。

 実習の指導担当の主任からは、『マイクロ波半導体技術部』に来てはどうかというお話があり個人的にも興味があったが、職場を離れ、東芝高専での勉強を許してくれた元の職場に復帰した。


1971年~1977年までの担当
5 電子計算機によるクライストロンの動作解析(Simulation)を開始

 1970年に、第8回マイクロ波と光の生成と増幅に関する国際会議がアムステルダムで開催され、クライストロンの動作についてシミュレーション解析を実施して、それに基づいて設計した結果、従来は40%台であった変換効率を62%にアップできたという報告があった。

 1971年に、私たちのクライストロン開発グループでも、クライストロン動作解析プログラムと電子銃の動作解析プログラムを開発し、①理論と②実験に基づいて設計していた時代から、コンピュータによるシミュレーションに基づく設計の時代に入った。

 この時点ではパソコン(パーソナルコンピューター)は開発されておらず、大きな部屋を占有するほど大型の業務用計算機を使用し、計算機の言語はFORTRANを使用し、計算プログラムは時には5000行以上にもなり、コーディングシートに記入し、自分で パンチカードにパンチングする。入力するデータを変更する場合には、毎回パンチカードを打ち直ししていた。
   
 ← パンチカード

南アルプス 北岳縦走
1971年5月 東芝学園の同窓生と新宿駅23:55発の有名な夜行登山列車に乗って甲府に行き、バスで広河原まで移動し、ここから登山し、奈良田へ下山し、奈良田からバスで広河原へ、乗り継いで竜王で下車。中央線で帰りました。
登山行程:広河原→北岳→北岳山荘(宿泊)→中白根山→間ノ岳→農鳥小屋(宿泊)→
     西農鳥岳→農鳥岳→奈良田


       北岳              雷鳥       ミネウスユキソウとタカネナデシコ

 
6 コンピューターによる動作解析の結果大幅に高効率化

電子計算機によるクライストロンの動作解析で得られた各種のパラメーターを反映させてUHF10kW放送用のクライストロン『1AV81』を試作した。従来の設計手法では変換効率が45%程度であったが、変換効率は63%と高効率になった。

高効率UHF放送用クライストロン『1AV95』、『1AV88』の開発
従来はコレクタの冷却に水の気化熱で冷却する蒸発冷却を採用していたが、高効率化によりコレクタ損失を小さくできることから強制空冷化した。変換効率63%は変わらず。

   

 1AV95    M4628A
開発済みの通産省 工業技術院 電気試験所(現:国立研究開発法人 産業技術総合研究所) 向けの加速器用クライストロン『M4628』を互換性を保ったまま高効率化達成
『M4628A』(2,856MHz、出力電力:6Mw→9Mw、変換効率:33%→50%)

航空路監視レーダー用大電力高効率クライストロン
『VA-963A/E3775』(1.25-1.35GHz、3Mw)を開発

外国製の製品に互換を保ちながら高効率化

    結婚しました
 1976年11月に結婚し、神奈川県藤沢市在住時に、1女1男を授かった。      1980年生まれの長女は国際医療福祉大学の放射線・情報科学科を卒業し、私に許可を求めた後に神奈川県の湘南鎌倉総業病院に就職した。
 1982年生まれの長男は茨城県立医療大学の作業療法学科で学び、今では埼玉県内で医療業務に従事している。
 
  空港監視レーダー用大電力高効率クライストロン『E3787』(2.7-2.9GHz,1.5Mw)を開発

  加速器用大電力高効率クライストロン『E3776』(2,856MHz、21Mw)の開発


Ⅲ:1978年~1987年

    『海外展開、世界最大の核融合用超大電力クライストロン開発
     核融合用超大電力クライストロン「E3778」が「IR100」を受賞、
     電気学会より「電気学術振興賞 進歩賞」を個人で受賞』

1983年時点では、米国大使館まで
行って取得した、米国数次VISA 
7 海外進出
    メキシコ、マレーシア等にUHF・TV放送用クライストロンを輸出。
香港、フィリピンに航空路監視レーダー用パルスクライストロンを輸出。

1⃣ 初めての海外出張
1980年2月:香港航空局 航空路監視用『VA-963A/E3775』の不具合の事前対処

    本格的な家庭用のパソコンは1979年にNECから「PC-8001」の発表および発売が開始され、私は1980年に顧客のクライストロンの半自動枯化装置で初めて使用した

その後、社内の自動枯化装置に、東芝の「PASOPIA」を使用し、枯化装置を自動運転化。

E3778  (1984年)
2⃣ 海外出張、1984年1月:大電力クライストロン量産化に関して、米スタンフォード大学 直線加速器センター(SLAC)に2週間滞在させてもらい、調査した

8 核融合研究用トカマク(JT-60)向け超長パルスクライストロンの開発
 1978年にJT-60型トカマクの核融合用、周波数可変型・超長パルス・クライストロン『E3778』(10秒、1.4MW=電子レンジの2000台分)の開発に着手

 1984年8月に同業他社に先駆け仕様を達成

 E3778を日本原子力研究所(現:国立研究開発法人日本原子力研究開発機構)に24本納入。その後、予備管も多数納入

 IR100に、東芝の核融合用周波数可変型・超長パルス(10秒、1.4MW)クライストロン『E3778』が受賞。

注:IR100は、Research & Development Magazine社による、その年のより重要な100技術製品を表彰(Selected by Research & Development Magazine as One of the 100 Most-Significant New Technical Products of the Year)
 核融合用クライストロンの開発で電気学会 電気学術振興賞 進歩賞を受賞
 1985年5月23日に、電気に関する学術・技術に於いて新規な概念・理論・材料・デバイス・システム・方式等を新たに提案或いはこれ等の提案を実証した者,および電気に関する製品・設備等を新たに完成又は改良し,顕著な成果をあげた者として、核融合用大電力クライストロンの開発で、電気学会 電気学術振興賞 進歩賞を、原研・永島氏、NEC・佐藤氏と共に受賞した
    
    

1986年のIR100(100技術製品)    電気学会・電気学術振興賞 進歩賞   電気学術振興賞 進歩賞の盾


Ⅳ:1987年~2002年

   『那須電子管工場に移転、核融合用超大電力クライストロン量産、役職定年』
  大田原市へ引っ越し
 工場移転に伴い、横須賀に新築後3年間しか経っていない我が家を手放し、1987年3月30日に大田原市紫塚の借り上げ社宅に引っ越しするが、会社の輸送センターの作業が手間取り、自家用軽自動車の輸送受付時間に間に合わず、自分たちで運転して西那須野町の旅館までやっとたどり着いた。

 子どもたちは、長女が幼稚園を卒園し、紫塚小学校に新入学、長男は引っ越し後に周りから評判を聞き、ふたば幼稚園に途中入園した。

 
9 1987年4月1日に工場移転
川崎駅前の東芝堀川町工場から大田原市下石上の東芝那須電子管工場に移転

世界最高の出力電力(100Mw)の加速器用パルスクライストロンE3712を同僚と開発着手

西那須野町の新築の我が家へ引っ越し
 社宅に引っ越し後に、毎週不動産や巡りを実施し、6月にやっと自宅用土地が決まったが、思うような間取りで建築できる業者が決まらず、6月末に建築業者が決まり、8月に建築に着手し12月に外壁などの完成を待たずに引っ越しした。
世界最高の出力電力(100Mw)の加速器用パルスクライストロンE3712を同僚と開発

1988年に市販の3次元電磁界解析プログラム導入のために
解析用小型コンピュータEWSを導入。小型といっても読み込み装置や解析結果のグラフを書き出すプロッターなどを含めると事務用デスクを1台占有するほどの大きさである。

大型計算機で解析していた各種動作解析プログラムを同僚とEWSに移植


核廃棄物処理用として世界最高出力電力(1.25GHz,1.2MW)の 大電力クライ ストロンであるE3718を開発

1992年に、Dynabook J3100GTに、高速演算コプロセッサを追加し、シミュレーションプログラムの動作を確認。

パソコンによる動作解析、設計の時代が始まった。!


 

Dynabook J3100GT 
中空電子ビームで高効率化を追及した、東芝初のホロービーム 動作確認用
短パルスクライストロンE3720 (5GHz、800kW)を開発

1993年に、各種動作解析プログラムを、個人で高速演算コプロセッサ付き Dynabook J3100GT (パソコン) に移植した。EWSは、市販の3次元電磁界解析プログラム等があり、しばらく併用



1996年4月 長女が高校入学

J-PARK(Japan Proton Accelerator Research Complex、高エネルギー加速器研究機構 (KEK) と日本原子力研究所(原研)【現 (独) 日本原子力研究開発機構 (JAEA) 】が共同で8年の歳月をかけ、2008年にJAEA 東海の原子力科学研究所内に建設)用の、長パルスクライストロン(620μS)の開発・改良管の納入

1998年4月 長男が高校入学

1999年4月 長女が国際医療福祉大学に進学

3⃣ 海外出張 1999年7月:2回目の米スタンフォード大学 直線加速器センター(SLAC)訪問
SLACが開発した大電力クライストロン「5045」(2,856MHz、50Mw)の製造工程を調査

E3740A(324MHz、3MW) と E3766(972MHz、3MW) の2菅種
                  ↖E3740A
    

 E3712    E3718    E3766  E3768B


2001年4月 長男が茨城県立医療が医学に進学

ILC(International Lenior Collider)用パルスクライストロンE3768シリーズの開発・改良管の製作と納入

『E3768』、『E3768A』、『E3768B』(11,424MHz、75Mw)はこの周波数帯では、世界最高の出力電力

電子ビームを絞るために、通常は電磁石を使用するが、本クライストロンの場合は電磁石では、クライストロン本体の数倍の電力を消費するため、高磁力の永久磁石を採用している。

Ⅴ:2003年~2009年

  『東芝電子管デバイス(株)に出向
   大電力マルチビームクライストロンを世界で最初に開発
   東芝電子管デバイス(株)に転籍
   横置き型大電力マルチビームクライストロンも世界で最初に開発



MBK『E3736』



『ILC News Line』  2008-01-17

The international
DESY/KEK/Toshiba klystron team.
10 マルチビームクライストロンの開発

従来管では電子ビームは中心軸上に1本であったが、ILC(International Lenior Collider)用として中心軸から外れた場所に等間隔(60度毎)に6本の電子ビームを配置した、マルチビームクライストロン ( Multi Beam Klystron = MBK )
『E3736』(MBK、1.3GHz、10Mw、1.3ms、10ppsの開発)
2003年1月に開発に着手
4⃣ 海外出張、2003年3月:ドイツ国立・電子シンクトロン研究所(DESY)
MBKの仕様確認、東芝MBKの第1次プロポーザル

2004年6月 長女が湘南鎌倉総合病院に就職

2004年10月1日に
㈱東芝から、新設された東芝電子管デバイス㈱に出向

5⃣ 海外出張、2003年7月:DESY
東芝MBKの第2次プロポーザル(位相変動縮小を目的とした第2高調波空胴の採用)

2004年10月1日に東芝電子管デバイス㈱に転籍
2005年4月に長男が医療法人聖和会に就職

マルチビーム故に,今までなかった幾つかの技術課題を約3年かけて克服し、試作管が2005年12月に、社内試験で、初めて仕様を達成した

6⃣ 海外出張、2006年6月にドイツの国立電子シンクトロン研究所(DESY)で、試験開始2日目に10Mw達成、競合他社に先駆け、受け入れ試験で初合格。

7⃣ 海外出張、2007年1月にDESYで実機用横置きMBKの仕様確認。

2007年1月31日に60歳で東芝電子管デバイス㈱を60歳で定年退職したが、嘱託として翌日からも出勤。

11 ILC(International Lenior Collider)用、横置きMBK
DESYではトンネル内での取扱いの関係から実機では横置きを想定しており、横置き仕様が決定した。

横置き型MBK『E3736H』の開発に着手:2007年1月

改良設計での特有の課題を克服し、2007年9月に社内試験で仕様を達成。

  8⃣ 海外出張、2007年12月にDESYで横置きMBKの受け入れ試験を開始したが、一部特性に不具合があり、中断して帰国。
 
帰国後、上記不具合に関して、動作解析で原因調査。予想外の解析結果だったが、原因が判明。引き取らなくても現地調整で対策できることを確認。

9⃣ 海外出張、2008年1月にDESY殿に受け入れ試験を再開して頂き、前回の不具合がなくなったことを確認し、競合・他社に先駆け、横置き型MBKでも、世界で最初に合格した。
            E3736H
  ロシアの国立研究所からマルチビームクライストロンの引き合い 

E37500
  ロシア科学アカデミーの核研究所『INR』ではソヴィエト連邦時代に建設された大きな加速器があり、重要な部品であるMBKを、ソ連崩壊のため、 建設時の国内のメーカでは製造できなくなって、東芝に引き合いが来た。

パスポートをロシア大使館に1か月
預けて取得した、ロシアのVISA
9⃣ 海外出張、事前にメール交換及びTV会議で打ち合わせを実施し、ロシアのVISAを1か月 かけて取得し、2008年1月に訪露。
『E37500』として概略設計を実施し、顧客に仕様を提案 
2008年末に2009年1月末で嘱託契約が終了し退職が決定。
結局、私の退職により、『E37500』の引き合いは辞退したそうです・・・・

Ⅵ:2009年~2012年

   『嘱託期間満了で退職と8か月後に復職
    那須シニアネットに入会、那須野が原ハーモニーホール合唱団に参加
    シルバー大学校に入学
    『EURO-XFEL』用大電力マルチビームクライストロンの受注
    65歳と2か月で完全に退職』
シルバー大学校北校
  2009年1月31日に退職。
    2009年3月に那須野が原ハーモニーホール合唱団に入団

2009年4月にシニア世代のパソコン仲間の那須シニアネットに入会

2009年10月に栃木県のシルバー大学校に入学 
  退職の8か月後に、再び要請されて2009年10月から週3日勤務の嘱託で復職
   
2011年4月から2014年3月まで那須シニアネットの副代表に就任

2011年6月 長男が結婚
12 ILC(International Lenior Collider)用横置きMBK開発を再度担当

気象ドップラーレーダ用クライストロンの改良設計
『E37100シリーズ』(9,000- 9,780MHz、100kw)


E37100
『ILC』としての計画はなかなか進まないが、『欧州X線自由電子レーザー計画』(EURO-XFEL)として、量産用MBKの改良設計を実施。

海外出張、2011年6月に、北欧3か国(デンマーク、スウェーデン、ドイツ)を訪問、DESYでは『EURO-XFEL』用MBKの仕様書の説明を受け、仕様打合せを実施。

『EURO-XFEL』クライストロンを7本受注した。
2012年3月31日に65歳2か月で、2度目の退職


Ⅶ:2012年4月~
 
『EURO-XFEL』実機用で受注した7本は、後任が製作し、納入した。
『EURO-XFEL』は2013年から稼働。

2012年7月から那須シニアネット仲間の為の「ホームページ勉強会」を開催

2012年10月にシルバー大31期トレッキング部OB会の会長に就任

2014年4月から2017年3月まで那須シニアネットの代表に就任

合唱団定期演奏会
2019年2月末に新型コロナ肺炎蔓延のため那須野が原ハーモニーホール合唱団は3月の発表会を目前にして休講

トレッキングのトレーニングのつもりで、毎日7kgを背負い、片足に1kgの重りを付けて、往復7㎞歩き、10年間で低山登山を含めて約150の山に登ったが、定年後の登山歴10年が過ぎる頃(2019年)に膝痛が発生

国際医療福祉大学病院の整形外科で受診した結果、トレーニングどころか膝の使い過ぎで軟骨がすり減り、状態としてはレベル4中の3との鑑定

トレッキング部の部長を退任、退部
日光白根山トレッキング
2020年9月から、那須シニアネット仲間の為の『ホームページ勉強会』の5回目を主催中ですが、皆さんに卒業して貰えず、2024年に入っても開催中
2021年11月 8日に月と金星が大接近 16:30撮影

14:00頃に金星食だったが、明るすぎて観測できず
 

 2021年11月19日に140年ぶりという「98%欠けたほぼ皆既月食」を観測 (18:03)
次回は65年後とに書かれていた
   
     2021年10月中旬に来年の誕生日に運転免許証更新ああり、新しい眼鏡を作ろうと近所の眼鏡屋さんを訪問し視力検査をしてもらったが、レンズの度数調整だけでは視力が上がらない、前から気になっており眼科での検査を受けた結果、立派な白内障だそうだが、手術スケジュールは1か月半ほど先で、手術は11月末になった。

 それまでに高齢者講習を受け、予定通りに白内障の両目の手術を11月29日30日に受けた。視界は手術翌日から鮮やかで、60年間寝るとき以外はかけていた眼鏡は 、すぐ近くを見るとき以外は要らなくなった。 

新型コロナ肺炎は収束していないが、那須野が原ハーモニーホール合唱団は、2022年5月に活動を再開した

新型コロナ肺炎のワクチン接種5回目として、オミクロン株BA.5対応のワクチンを2022年11月2日に接種

   
2022年11月8日に1時間26分も続く皆既月食と天王星の2重食を観測
皆既月食中の惑星食としては442年ぶりで、次は322年後だとに書かれていた

  
ほぼ50%の月食      皆既月食の最大      天王星食の直前        直後
   

    2023年2月22日に月、木星、金星が稀になく接近するとの記事が新聞に記載されていた
      2月22日17:57に撮影            国立天文台HPより

        


2023年3月5日の「那須野が原ハーモニーホール合唱団」の第17回 定期演奏会を終え、夜19時からの2時間の長き練習や昨年後期高齢者となった年齢も考慮し退団しました。コロナ過による休団3年を含め14年間の合唱団活動を終えた。
   

2023年9月に7回目のXBB.1.5対応のコロナワクチン接種を実施した。

2019年に発症した膝関節痛は無理な使い過ぎで軟骨がすり減り、重症度がレベル4中の最悪の4だそうだで、無理をしなければ短時間は歩けますが、5年ほどは走ることが出来ていません!

2024年9月17日は中秋の名月で土星が近くに見えるというので狙ってみました。
大きさが全然違うのでこんな感じでした。右の小さい点が土星です。土星を拡大すると輪が見えます。